生きる

あらためて、生きていよう。
日日hibi 2024.10.21
誰でも

先週火曜の朝、私の祖母が98歳で亡くなりました。

我が家にとって、とても存在感のある、誰よりも頑張って家を支えた偉人です。

本日、その葬儀が執り行われ、12時に火葬されます。

息を引き取って、姿形がなくなってしまうまでの7日間は、私にとって「生きること」の意味を考えた時間でした。

正直に話すと、つい最近まで、私はずっと家族の存在がコンプレックスでした。

何度も好きになろうと、適応しようとする度に、何かの不調をきたしてしまうか、我慢するか諦めることの連続でした。

田舎の人特有の口の悪さ、小馬鹿にして可愛がるコミュニケーション、素直じゃない愛情表現、怒ってばかり。「忙しい」を理由に、理解しようとしない、こちらを見てくれない。「愛情不足だ」なんて怒る間もないくらい飽き飽きして、もういいやとそっぽを向いてしまいました。

すごく苦手で、家族に会うたびに自分を査定されているような、受け入れられているようで、思い通りにさせられているような。意見を尊重されていないと感じるか、意見を言うことさえ諦めてじっと我慢していました。祖母は、その悩みの最たる存在でした。

でもひとつだけ、気がかりなのは、どうしてこの家に生まれたのか?という疑問でした。

きっとこの家に生まれた意味があるはず…と。

今までは、亡くなった姉の生まれ変わりだと思って、命をもらったんだと思って生きていました。だから絶対命を無駄にしたりはしないし、人の2倍生きようと思っていました。

でも今回、祖母の死を境に、亡くなった姉のせいにして自分の生きる意味をこじつけるのはやめようと思いました。亡き姉にも負担をかけて失礼だし、私にも絶対に生きる意味があるはずだと。

戦後、焼け野原になった土地で、貧しさを味わいながら必死に働いてきた祖母。突然土地や馬を買ってしまって借金を増やすような夫の尻拭いに追われて、ずっとずっと働き続けていました。誕生日も記念日もない、毎日働く日々です。自然と子供達にも働くことを強いるようになるし、「働かざる者食うべからず」を誰よりも言い続けた人だと思います。

彼女の根底にあるのは、「生きる」「家族を守って生き延びる」と言う必死な思いでした。

デイサービスに通うになったここ2〜3年。祖母の家には、それまでの人生で行うことがなかった誕生日のお祝いのカードと写真が。そしてそこに刻まれた、私と全く同じ誕生日の数字。誕生日を祝われたくない人だったから、みんな祖母の誕生日を知りませんでした。

死後、祖母の写真を探しているときにそれを見つけ気づいたその時は、私に命のバトンが渡された瞬間でした。

「祖母が人生でやれなかったことをやろう。」

今私はお茶の道で、常々「自分の心は満ちているのか?」を問い続けています。誰かのために自分を犠牲にして頑張る、自分の心を無視しても物質的に豊かになることを取る、そういう生き方をやめたいとずっと願っていたから、私にとって「心が満ちているか?」「心は自由か?」「自分の心を解き放てているか?」ということは、最大の関心ごとであり、目指す姿です。

祖母がきっと心を満たすことができず、ずっと不平不満や小言を言いながら、辛い毎日をやり過ごしてきたのも、それはそれで大切な祖母の人生。時代や環境が、優しくなることや穏やかさを許してくれなかったから、ずっとどこかで苦しんでいたんじゃないかと思います。

渡された命のバトンは、満たせなかった祖母の思いも含め、未だ心が満ちることに抵抗や焦り・虚無を感じる人々のために使いたいと思います。

一杯のお茶が、心に沁み入るその時を経験したから、きっとできるはず。そのために生きてみよう、やってみよう。心を満たしてみよう。いろんな思いを共有しよう。そして、固執することなく手放していこう。いずれ何にもない軽い自分でいよう。

そんなことを人生で実現したい。

だからあらためて、生きていよう。

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