心と体の関係について

女性性の否定
日日hibi 2024.04.21
誰でも

大切なあなたへ

今日は日曜日なので、ゆっくり長めのお手紙を書いてみます。

私はこの会社員生活を始めて13年の間、原因の特定できない病気をいくつかしました。

・生理不順

・泌尿器系の異常

・子宮頸がんの異形成

・甲状腺の異常(橋本病)

・緑内障の初期症状

・乳管拡張と乳管腫瘍の影響で乳房から液体が出続ける現象(現在進行形)

これらの共通する点は、漢方で言う「腎」をつかさどる部分の異常が出ているということです。通常ならば、40代に腎の機能低下を感じる人がほとんどですが、私は20代の頃から症状が出ていました。

しかも、西洋医学のお医者さんに行くと、どこも「原因もわからないし、治るかもわかりません」と言われることがほとんど。(子宮頸がんはレーザー治療で完治しました)

漢方を頼ったこともありましたし、フィトセラピーを学んだり、アロマを学んだりととにかく知識は色々つけたつもりですが、これで完璧に治った!という状態には未だありません。

茶道の恩師曰く、「体を大事にすることも大事だけど、心が大事だよ。末期癌の人で余命1年と言われた人でも、心がハッピーだから宣告から10年以上生き続けている。人間ってそういうものだよ」と。

考えてみれば、私の心は常に「〇〇してはいけない」に縛られていました。特に、人に頼ってはいけない、自分がやらなければならないと思っている節が(今も)ありました。だからどこか、仕事でもプライベートでも大変なことを背負ってしまいがちだし、大変な状況の火消し役として使われるような状況を作り出していました。

素直に人に頼ることができない、受け入れることができない。それは自分の女性性を否定してきたんですね。すると不思議と体の女性系の部分に不調が出続けることに。

なぜ自分がこうなったかというと、専業主婦の母のイメージが自分の中にあったからです。父親に言葉で差別を受けて家事育児をやらなくてはならないネガティブな母親像が私の中にこびりついていたから。だから「私は絶対に母のようにはならない」という思いが根強く居座っていました。すると、自分の中での男性性を強く打ち出すことになります。なんでも主体的にできて社会で評価される自分が全てだと感じるように。

ですが、社会に求められることをこなせないと自分がなくなってしまうと躍起になりすぎて、いつの間にか自分がくたびれていることに気づきます。男性が昇進する社会、自分のことを除け者にされたり、意見が通らない実情。外側から見れば、名の知れた会社で仕事をしているということで煌びやかなのかに、内情はひどく迷い、悲しみ、孤独を感じるようになります。このおかげで何度も転職を繰り返したり、人間関係をリセットすることに。

次第に気づいたのは、私は社会の中で「被害者として虐げられる母」になってしまいそうな自分を一生懸命救い出そうとすると共に否定していたということ。

そんな時、私は台湾茶道に出会って、「あるがままの自分を受け入れる。自然に任せて立ち止まる」ということを知りました。すると不思議といらないものがわかるように。執着していた環境や人間関係を手放すことができるようになりました。

現代は、女性性とは「受容性」の象徴といわれていますが、キリスト教の発祥以前は女性性は「能動性」を示していたとされています。それは、ただそこにいることの「能動性」を表していたそうです。必要なものは全部自分の中にある。大きな子宮・その器の中に自分がある。変化に任せる、ただあることの価値を知るための能動性です。

私には、女性性への能動性が不足していたことに気づいたんです。積極的に自分のありのままを受け入れ、自分を愛すること。すると、私のなかの母と父を通じて、傷つけられ暴走していた女性性と男性性が結合し、男女差という区別なく一人の人間としての私が浮き彫りになる。

私はまだその旅の途中なのだと思います。でもきっと、女性性と男性性が統合されたとき、心でなく体も変わっていくような気がします。

体は心のシグナル。あなたにとっては、どんな体と心のつながりが起きていますか?

ではまたお手紙書きますね。良い日をお過ごしください。

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